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さびしさの方程式

Equation of loneliness

脳死した身体には宿っているのだろうか。それとも身体は既に空なのだろうか。
もし前者なら、の抜けた入れ物ばかりをいつまでも生かしておくのも哀れかもしれない。
それは奇跡でも起こらないかぎり(還ってきた症例はあるが)、ただの入れ物に過ぎない。
後者ならどうだろうか。
脳死した身体にまだがあるのならば、その時点で死という定義は成り立たないかもしれない。
でも、本人は悩がとっくに死んでいる状態で、臓器ばかりが反射的に動く状態が幸せなのだろうか。

今回の臓器移植法改正、自分は反対ではない。自国で賄うことに反対はできない。
また自分も臓器提供意思表示カード持ってるが、戻ってこれないのなら有意義にこの身体、使ってほしいと思う。
ある意味ではこの身体朽ちても他の身体で生が繋がるわけだから。

この前、脳死した子供を一年以上介護してる親をテレビで見た。
子供は身体ばかりが成長していた。哀れだった。
身体が動く=死ではない。
感情ではやはりそうなるのもやむえない。
だけど、その身体にまだはあるのかい?と問いたくなった。
認めたくないのだろうけど、逝かせてあげるのもまた親の務めであるのかもしれない。
冷たいかもしんないけれど、そう思った。

テーマ:社会問題 - ジャンル:ニュース

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