さびしさの方程式

Equation of loneliness

恩田陸さんの「中庭の出来事」を読んだ。
舞台は中庭。
現実と虚構を行ったりきたりして、一個の舞台を中心に四つの死にまつわるエピソードが展開していく。


中庭の出来事中庭の出来事
(2006/11/29)
恩田 陸

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以下で感想なぞ

この本の感想となると、また難しいものがあるけど、読んでて思ったのが劇団第三舞台鴻上さんの舞台のようだなって思ったこと。
僕も鴻上脚本は「恋愛戯曲」をやったことがあって、あれもどれが現実でどれがフィクションか、えらい難しかった記憶があるけど、それに比べたらこの本は解読可能かな。
ただ、この小説、小説としてやるのも面白いけどやっぱり演劇でやった方が映える作品じゃないかなと思う。ただ、役者泣かせではあると思うけどね(笑
全編に渡って長ゼリのオンパレード、オーディション、そして事件解決のための一人芝居っていう設定にはなってるけどね。

物語はビルの中庭での女子大生の死、女優の死、2つの脚本家の死という風と並行して進んでいくけど、女子大生の死と女優の死が現実で脚本家の死が虚構なのかなって思ったら最後の最後に全部繋げて、結局どれが内側でどれが外側かわからなくはなってくるね。
話の筋としては結局どっちでもいいのかもしれないが。
なぜならこの話において中庭というのは読者から見ればステージであり、読者は観客なんだと思う。
中庭で起きている出来事は、つまり物語はすべてフィクション。
内側も外側もなくそこにあるのは中庭という一つのステージで起こる四つの事件。

ただまあ、最後に無理矢理四つを細渕、つなげたんじゃないか?って思ったら巴も細渕もまた演じてるってんだから、じゃあ結局これを仕組んだのは作者?つまり犯人(というものがあるなら)は作者?ってことにもなりかねんが、それは置いといて・・・。

一個の舞台としてみたとき、この話すごく面白い。
上演時間何時間になるんだよって話にはなりそうだけど。
できれば鴻上プロデュースか第三舞台でやって欲しい。

あと演じる者として自分で自分を演じるっていうことほど難しいものは確かにないよなと思う。
他人にはなれるけど、自分で自分を役者として演じるのは他人を演じるより難しい。
だけれども、役者でない人は、特に都会では誰もが自分を演じてるっていうのは納得できる話だと思う。見られる対象がいるから服装にも格好にも、言動にも気を遣う、皆が皆気がついてないところで何者かになろうとして自分を演じてる。
それは必ず観客となる対象がいるから、どんなちょい役でも。
この考え方、読んでてほんとに面白いと思った。
それとこれって、「チョコレートコスモス」での飛鳥にも通じるとこがあると思う。
彼女の場合、他人にはなれても自分を持てない子だったけど。

うん、やっぱこの本の感想って難しいな。
演劇論についてならどれだけでも語れそうなんだけど。
ただそれを語っていくとどんどん関係ない方向にいきそうなので一応これまでで。

解読するにはもう一回再読した方が良さそう。
最も風呂敷を広げて回収しないのが恩田作品だったりするけど。
「Q&A」とかね。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

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