さびしさの方程式

Equation of loneliness

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一緒に君と暮らしていたとき、「ただいま」って言って「おかえり」と君が言ってくれてたこと。
君がうちに来たとき、「おかえり」と言ってあげれること。
君が「ただいま」と反してくれたこと。
なんでもないことだけど、幸せってこういうものなのかと実感していた。
また一緒に暮らしたい・・・。
Category :  恋愛
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今日は家でデートだったわけだけど、彼女の写真を結構撮った。
もともと人間の写真を撮ることはすごく苦手だった。
けど、彼女の写真を撮っていると、素材がいいからすごく綺麗に撮りやすいと思う。
前に彼女を撮ったときも、すごく綺麗に撮ることができたし、それからしばらくは彼女の写真を撮ることはなかったのだけれど、今日はツーショットを撮ったり、彼女一人を撮ったりした。

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さっきテレビのドキュメンタリーでインターネット依存症の特集をやっていた。
主にオンラインゲームのチャットによりインターネット依存症になったものを中心に特集をやってたけど、朝から夜までオンラインゲームをやり続けて、家事もおざなら、しかも隣の部屋にいるのにチャットで会話する親子。
32歳、ネット依存症、引きこもりの生活。
会社もやめて24時間食事もパソコンの前。
体重も150キロに増えていた・・・。
そして極めつけは、ネット依存症になったことで、自分の中に別の人格を作り出してしまって精神障害を患ってしまった人。
ネットと現実の区別がつかなくなっていた人がいた。
しかもその自分の中の人格が知らないうちに消費者金融で借金してしまう始末。

・・・・ここまでくると重症だけど、自分もある意味依存症気味かもしれない。
まあ、忙しさがそれを防いでいるのかもしれないけど。
ネットって長時間やると、やっぱ脳がほとんど動かなくなって、ゲーム脳のような感じになるらしいね。
パソコンを使っていると、たしかにこれは中毒性があるものだと思う。
ネットしてなくても、例えばゲームだけをしていたり、ソフトで遊んでいたり。
パソコンは使えなければただの箱。
でも使い始めるとそれは時に使っている自分に牙を向く。
いや、「パソコンを使う」のではなく、「パソコンに使われる」。
これを防ぐには、やっぱりパソコンを使わないことだけど、今の時代そうも言ってられないし、長時間使わないようにと思ってもついついだ。
そんな自分からの誘惑に勝ったり負けたり・・・。
どうにかしなきゃと思いつつ、どうにもできない自分の・・・。
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ホームページを最初に作ったのは高2の頃だった。
その頃はHTMLなんて全然いじれなくて、というか全然意味もわからなかったから、ジオシティーズの自動作成ツールを利用していた。
なぜHPを作ろうと思ったのかといえば、自分の作品発表の場が欲しかったからだった。
それから、最初は全然わかんなかったHTMLも触っているうちにどんどんわかってきて、何回かトップページを白紙にしてしまうようなミスを繰り返しながら、手打ちで素材を借りてきたりしながら作っていった。
それから、ジオシティーズのファイルマネージャで作るのはやばいぞと思い、メモ帳でHTMLを打つほうに切り替えていき、でも手打ちしていくのは楽しいながらも面倒だった。
そこにあらわれたソフトが、フロントページエクスプレスであった。
マイクロソフトのホームページ作成ソフトといえばいいかな。
といっても、買ったわけじゃなくて、ウィンドウズ95にプリインストールされていたものだったんだけど。
だから使える機能だって結構限られてはいたけど、初心者には使い易かったと思う。
それともう一つ、マイクロソフトワードにもHTMLファイルを作れる機能があったから、それも使っていた。
そして次に使いはじめたソフトは、IBMのホームページビルダーだった。
このソフトはチャット友達からコピーしてもらったもので、今でも使っていたりする。
一般に手打ちでHP作ったほうが偉いみたいな論があったりするけど、僕も最初はそうだった。
でもやがて、それは違うなと思い始めるようになった。
大切なのはどうやって作ってるかじゃなくて、どれだけ内容のあるサイトが作れるかなんだと思う。
あんまり僕も威張って言えるようなことじゃないんだけど。

それで、HPはそれから何回もリニューアルしながら進化したり退化したりを繰り返していった。
新しいコンテンツを作っては消し、作っては消し・・・。
長編の小説だって連載していたし、詩や写真にも挑戦したりした。
やがて、ある事件により、HPの素材は今までみたいに借りてくるのではなく、デジカメとフォトショップを使って自分で作るようになり、サイトの素材すべてを自作のものに切り替えた。
そうやって運営して、気が付けばうちのサイトは五年目だ。
これから、あのサイトがどうなっていくのか自分でもわからない。
ブログ中心になるかもしれない。
それでも、不思議と閉じる気にはなれなかったりする。


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ちょっと下に書いたものとテーマが被るけど、思いついたので書いてみようかな。
前に、大学の授業で某NHKの番組を見せられた。
その番組が取り扱っていたテーマは、出生前診断や体外受精といった所謂優生学や生命倫理についてだった。
それぞれ賛成派と反対派に分かれて、どちらに賛同するかということは視聴者任せだったと思う。

さて、本題に入ろう。
出生前診断について言えば、僕の場合、反対ではない。
やはり、自分の子どもがどんな障害を持っているのかということは、気になるだろうと思う。
仮にそれで子どもに重度の障害が見つかったとしよう。
でもそれで子どもをおろすのか、というとそれは別問題であるし、僕個人の意見で言えば、たとえ子どもに重度の障害があったとしても、子どもを産んでほしいと思う。
ここでよく言われるのが、子どもが障害をもって生まれてきても幸せになれない、ということなのだが、障害を持つということが本当に不幸せなことなのだろうか?
障害を持つということと、幸せだということは別問題ではないのだろうか。
たとえ子どもが障害を持って産まれてくるとして、それで幸せになれるかどうかということは、その子ども本人と家族しだいだと思うし、結局はその子がどう生きていくのか、それで決まるんだと思う。
「人の幸せは命の長さではないのです」
僕の好きな言葉だが、その通りなんだと思う。
たとえ、生まれてきてその子が短命であったとしても、限られた命の中でどう充実した生き方ができたのか。
それは命の長さでは計れない。

もひとつ、その番組で取り扱っていたのが、命の選別。
つまり、体外受精などの技術を応用して、産まれてくる子どもを天才児にしたり、障害などを引き起こしそうな精子を排除したり、遺伝子操作したりして、あらかじめ生まれる前に、どんな子どもを産むかということの設計図ができるというわけである。
これにより、親は自分の理想通りの子どもを産めるというわけである。
出生前診断に然り、これに然り、親の立場と子どもの立場では意見が違うところだろう。
僕の場合、まだ親の視点でものを見ることができないから、子どもの視点で言わせてもらうとしたら、こんなのは所詮親のエゴでしかないと思う。
確かに、どんな親でも、自分の子どもには理想どおりになってほしい所だってあるだろう。
だが、本当に理想通りに作ってしまうとして、そこには子どもの意見が差し挟まれる余地はなく、また本来生まれるはずだった子どもの可能性まで奪ってしまい、生まれたときから自分の生き方が親に固定されてしまうのである。
いただけないなと思う。
また、これは危険なことだなとも思う。
人間が二つの種類に分けられてしまう可能性があるのである。
一つは遺伝子操作されて生まれてきた人間と、もう一つは自然に生まれてきた人間と。
それで人間の階層構造が近い将来作られるとしたら、それは危険な可能性だとも思うわけである。

僕は別に神を信じるわけではないが、人間は生命という触れてはいけない場所に触れている気がする。
技術が進歩するということは否定はできないし、今後どんどん進歩していくだろう。
クローンの技術だって、今はまだ危険だとも言えるが、これからどんどん技術が進歩していけばより安全になっていったりもするだろう。

が、まずその使い道を考えてほしいと思う。
その技術を使うことで、本当に産まれてくる子どもは幸せになるのか。
そして幸せとはどういうことなのか。
使うときは、本当にそれが子どものためになるのか。
親のエゴではないのかということを考えてほしいと思う。
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アルジャーノンに花束を

「アルジャーノンに花束を」
この本を最初に読んだのは確か高2か3のときだったと思う。
この本が、語りかけていることは読めばわかるのだが、頭が良くなるということは、天才になるということは本当に幸せなのか?ということだ。
今はまだ、この物語はSFでしかない。
しかし、近い将来、頭を良くする、つまり人工的な天才が誕生するとも限らないし、天才と呼ばれている人々の精子などを使って現に天才児が誕生したりもしている。
チャーリー・ゴードンのような人間が出てきてもおかしくないというわけである。
それが倫理的に良いかどうかは別として。
しかし、天才であるということは、本当に幸せなのか。

前に見た天才児のドキュメンタリーで、10歳にして大学に通ってた子のものを見たことがある。
確かにその子は頭は良かった。が、孤独だった。
当然だろう、同年代の友達も持つことなく、ましてやいたとして、知識レベルなども違いすぎるだろうから。

そんなことが本当に幸せなのか。
天才になったときのチャーリー・ゴードンのような思いをしているような人間が実際にいるわけである。
親が子どもを天才にしたい、というのは確かにわかること。
だが、それって結局は親のエゴでしかないということだ。

天才だということを、不幸せだとは思わない。
だが、考えてみて、本を読んでみて、天才になるということが本当に幸せなことなのか、もう一度それを考えて見た方がいいと思う。
結論は自分しだいだが。
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「間違えよ 抱きしめしたる 気持ちよく」
byこうさぎ

・・・・・;
( ゚Д゚)ァハハ八八ノヽノヽノヽノ \
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彼の腕の中で、小さな命が16年という長いようで短いような人生を終えようとしていた。
彼は"彼女"を抱きしめながら"彼女"と歩んできた時間を反芻していた。

「ナーゴ、ナーゴ」
彼はその朝、猫の鳴き声で起こされた。
その猫は彼の一人暮らしの部屋のドアの前で待つように鳴いていた。
「ナーゴ、ナーゴ」
いつもの彼であれば、気付いたとしても、絶対にドアを開けようなんてしないだろう。
猫が嫌いなわけではない。
ただ面倒だから、それだけなのだ。
だが、その日は違った。彼はドアを開けたくなった。そしてドアの向こうで鳴いている猫のことがとても気になってしまった。
気にしないでそのまま寝てしまおう。
彼は布団を被った。だが、
「ナーゴ、ナーゴ」
とても外が気になって仕方ない。
彼は身体を引っ張り起こし、眠い目をこすりながらドアを開けた。
彼の目の前には、白くて青い目をしたとても綺麗な猫が座っていた。
「ナーゴ」
まるでドアを開けてくれてありがとうとでもいうように、その猫は嬉しそうに鳴くと、彼の部屋の中に堂々と入っていった。
彼はそれがとても自然な流れだったので、一瞬呆然とし、それから中に入った猫を追いかけていった。
猫は2DKの彼の部屋をまるで知ってでもいるかのように堂々と歩いていき、彼の寝室に入ると、そのままベッドの上へ飛び上がり、そこで丸くなって寝てしまった。
その寝顔はとても幸せそうだった。
彼は追い出そう、と手を伸ばしたけれど、その猫があまりに幸せそうな顔で寝ているから、まあ起きてからでいいだろう、と思ってしまったのだった。
それが、彼と猫"ナナ"との出会いだった。

彼はベッドの上で丸くなって寝ている猫の姿を眺めていた。
とても幸せそうに眠っていた。
こんな幸せそうな寝顔を見るのは久しぶりだった。
彼は猫を見ながら、一年前に死んだ恋人、奈々のことを思い出していた。


奈々は彼の部屋にくると、いつもまっすぐ彼の寝室に来て、彼が寝ていようが寝ていまいが、ベッドにもぐりこんできては眠るのだった。
そして何をするにもベッドの上なのだった。
眠るのも、食事するのも、着替えるのも。
彼の部屋の中で、このベッドだけは奈々のものだった。

彼は猫に奈々の姿を重ねていた。
彼の心の中には封印されていた奈々の姿が溢れてきていた。
胸が苦しくなって思わず「奈々・・・・」と呟いてしまった。
その瞬間猫は目を開けて僕に「ナーゴ」と眠そうな声で鳴いた。
「え?」
その瞬間、彼は現実に引き戻されていた。
猫は彼を見つめながらもう一度「ナーゴ」と今度は不思議なものを見るような目で鳴いた。
「お前も奈々なのか?」
「ナーゴ」
その瞬間から、その猫の名前は「ナナ」になった。

その日から、ナナは彼の部屋のベッドの上で暮らすようになった。
トイレと食事以外はすべてベッドの上で。
ただし、それは彼が部屋にいるときに限られた。
ナナは彼が出かけるときに一緒に出かけ、彼が部屋に帰ってくるときには、まるでそれを伺っているかのように戻ってくるのだった。
そんな生活を続けながら、彼は帰ってくるとナナを撫でてほっと一息つくのだった。

彼は時々ナナを撫でながら、彼は時々思うのだった。
もしかしたらナナは奈々の生まれ変わりではないのかって。
その考えに、彼自身馬鹿馬鹿しいと思う反面、奈々が生きているときに言った言葉を思い出すのだ。
「ねえ、もしあたしが猫だったら、ずっと一緒にいてくれる?」
その言葉は、ある日のセックスのあとに、彼女の髪をなでながら余韻にひたっているときに、彼女が発した言葉だった。
「でも猫だったらキスできないよ」
と彼が答えると
「え?猫にこうしてチュチュってしない?」
と彼の頬にキスしながら言うのだった。
「生まれ変わったら猫になりたいの?」
彼は奈々にそう尋ねた。
「猫になりたいな」
彼女はそう答えた。

奈々が死んだそれから一ヵ月後のことだった。
奈々が死んだ原因は一応交通事故ということになっていたが、交通事故とも自殺ともとれるような死に方だったと彼女の両親から聞かされた。
彼は奈々が死んだ夜、わんわん泣いた。これまでにないくらいわんわん泣いた。

「ナーゴ」
ナナの鳴き声で彼は現実に引き戻される。
「ナーゴ」
ナナは彼の顔を覗きこむように鳴くのだった。
「心配してくれてるんだな」
「ナーゴ」
「心配かけてごめんな」
「ナンゴ」
ナナは優しい声で鳴いた。

彼はそれからの人生をナナと共に歩んだ。まるで奈々と過ごせなかった時間の埋め合わせでもするように。
就職が決まり、大学を卒業し、就職して、引っ越しして新居を手に入れ、出世し、彼はそういう人生の何か大事な記念日をいつもナナと祝った。
ナナは祝い事をする度に不思議な顔をするのだが、いつもは食べれない大好物のツナ缶を食べれるとあってとても喜ぶのだった。

彼は結婚もしなかった。
確かに結婚を考えたこともある。
でも、彼の心の中にはいつも奈々の姿があって、死んだ彼女をいつまでも引きずっていた。
奈々は早く彼に幸せになってほしいと思っているのだろう。
僕がいつまでも一人でいることを、奈々はきっと望まないだろう。
そんなことはわかっていた。
だが、彼はどうしても奈々のことが忘れられず、こんなんじゃ結婚相手に悪い。
そう思うとなかなか踏み出せずにいるのだった。
これまでいくつも縁談の話をもちかけられた。
だが、彼は何かと理由をつけては断るのだった。

そうして彼はナナと16年の歳月を過ごしていった。
彼女はだんだんと年老いていき、昔は軽かった身のこなしも、年のせいか随分と重くなっていた。
それは彼も同じで、いつの間にか彼も40代手前の中年に差しかかろうとしていた。
彼は最早自分では動くこともできなくなったナナを介護した。
それもまた、奈々にしてあげられなかったことの一つだった。
彼の夢は、奈々とずっと一緒にいて、余生は奈々の介護をしながら二人で一緒の時間を過ごすことだったのだ。
今やナナこそが彼の生活の中心だった。
その為に仕事も独立して、ナナを介護しながら気ままな自営業を営む日々を彼は過ごしていた。
ナナは日に日に弱っていき、もう自分の力では何もすることもできない。
食事はチューブによって直接胃に流し、便もトイレにいくことができないからオムツをつけて、若い頃のナナの姿は見る影もなく、ナナはやせ細り、それでもナナは彼が辛い顔をすると、心配するように「ナ・・・ゴ・・・」と弱弱しい声で彼の顔を覗きこみながら鳴くのだった。

・・・・そして今、ナナは彼の腕の中で、長くて短いような命の、最期の瞬間を迎えている。
「ありがとう」
本当はもっと沢山伝えたい言葉があった。でもこの言葉しか出てこなかった。
「ナ・・・ゴ・・・」
ナナは弱弱しい言葉で鳴くと、そのまま眠るように息を引き取った。

彼は家の庭にナナを埋めると、そこにナナの墓を建てた。
それから彼はベランダでタバコをふかし、コーヒーを飲みながらナナと過ごしてきた想い出を反芻した。
そして、涙が止まらなくなり、彼はわんわん泣いた。
泣いて泣いて泣いて、いつまでも泣き続けていた。


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書いてみた。
自分が誰かのために役に立つなら。
誰かの身体の中で、自分の一部が生き続けるとしたら、命は半分永遠なのかもしれない。
命を繋ぐこと。
子供を産むということ以外に命を繋ぐこということ。
Category :  コトバ
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こころの居場所

君の居場所は僕の中
君がたとえ行く場所がなくなったとしても
僕だけは君の居場所で
いてあげられるだろう

君の居場所は僕の中
僕は君を受け止めよう
君が帰る場所を失っても
僕だけは君の帰る場所になってあげよう

君の居場所は僕の中
僕の居場所は君の隣
僕は君の帰る場所
君は僕の帰る場所
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依存

弱い自分に依存して
楽な方へ
楽な方へと
そんな自分に甘えてる自分がいる

このままではいけないと
思えば思うほど
苦しくなり
逃げ出したくなる自分がいる

向き合わずに
逃げてばかり
楽をしたいばかりに
現実と向き合わない

いけないとわかっていても
自分を律することのできない
甘えてる自分

どうにかしようとして
どうしようもできない
自分が自分に甘えている
自分が自分に依存する
そんな自分への寄生と依存
Category :  コトバ
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君が航路を間違えようとすると
僕は航路を修正する
君が航路をずれようとすると
僕はまた航路を修正する
少しづつ少しづつ
進むべき方向へ
僕の舵で僕らは進む
タイタニックのごとく
沈むことはなく
長い旅路を僕らは進む
氷山にぶつからないように
正しい航路を進めるように
僕は舵をとって
君を進める

Category :  趣味
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最近彼女にマッサージをしてあげている。
肩揉みして、背中を指圧してあげて、足を揉んで、足の裏を指圧。
彼女に今日、やるたびにうまくなっていくと言われた。
彼女専用人間マッサージ化の今日この頃(笑
セックスでもマッサージでも気持ち良くなってくれたら嬉しいんだけどね
Category :  さびしい気持ち
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雲の形は見てて面白い。
この前はアザラシのような雲を見つけた。
今日は猫が伸びて寝てるような雲を見つけた。
写真がないのが残念だけど、結構面白かった。
Category :  さびしい気持ち
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家から見ると、いつも目の前に阿蘇山が見える、でもいつもは気にしない。
だが阿蘇に行ってみると、とても綺麗だった。
夕日があたって赤く光る阿蘇の姿はとても魅力的だ。そして雄大だ。
Category :  映画
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今まで見た映画の中ではいい部類に入る、いい映画だった。
ストーリーの詳細は
ターミナル公式サイトにて

ただ待ち続けるだけの男。
もっと深刻で重い話なのかなと思ってたけど、結構随所に笑える所がたくさんあって、明るい映画だった。
トム・ハンクスの演技のうまさもあったけど、他の役者のっていうかまわりの人の人の良さ。
それが良かったかなと思った。
最初は待っているだけの変な男って感じだったのが、だんだんそのターミナルの中で男が動いていくうちに、仲間意識が生まれてくる。
言葉も通じない所でただ待つだけ、待っているだけの男。
やがて生まれてくる空港職員との友情。

恋愛あり、笑えるとこ沢山、そして感動あり。
2時間ちょいあったけど、飽きずに見ることができたのは、やはり笑えるところが沢山あったからだと思う。
ちょっともういいよみたいなとこがあったけど、でもすごくいい映画だと思った。
楽しめたし、久しぶりに見れてよかったと思った映画だった。
Category :  映画
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「いま、会いにいきます」を見てきた。
まあ、ラストはあれだったけど、途中までは結構良かったかな。

この作品と出会ったのは二年前。
まだこの大学に入りたての頃に書店で見つけた。
それから市川さんのファンになって一応全部読んだかな。
最近出た最新刊は読んでないけど。

映画は僕にはそこまで泣けはしなかった。
ただ、彼女は隣でボロ泣きしてたけど。
自分と重ねていたんだと思う。
不覚にもエンディングではやられてしまったんだけど。
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               ペコ的名曲その21 -永遠にともに-
Amazon.co.jp: カスタマーレビュー 音楽: 永遠にともに [MAXI]


前にも書いたのの書き直し。最近はまってる曲。コブクロの「永遠にともに」
いい曲はいっぱいあるけれど、最近出た曲の中では、詞が心を貫いた曲だと思う。
毎日毎日大量の音楽を聞き流していく。
でも、初めてこの曲を聞いたとき、すごく心を貫いて、涙が出そうになった。
音楽で心を貫かれそうになったのは、本当に久しぶりだった。

もし、彼女とこのまま結婚することがあるとするなら、結婚式ではこの曲は絶対使いたいものだなと思う。
音楽は自分で演出して。
ベタかもしれないけど、大好きな曲で演出すること。
今だって似たようなことしてるけど、すごく気分がいい。

自分の中で大切にしていきたい曲だ
Category :  コトバ
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「未来はきっと変えられる。幸せになれるかどうかはその勇気があるかどうか」(演劇集団キャラメルボックス「アンフォーゲッタブル」)

「人の居場所は誰かの胸のなかにしかない」(冷静と情熱のあいだ)

「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、どうしても生きたかった明日」(誰の言葉かわからないけど、某掲示板で見つけた言葉)
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Yahoo!ブックス

児童文学では、定番ともいえる作品の「あらしのよるに」が映画化されるらしい。
それもアニメ映画化。
配役はといえば、狼役を中村獅童、羊役を成宮寛貴で。
成宮君はともかくとして・・・、中村獅童はイメージ的にぴったりかもしれない。
それにしても・・・、どんな映画になるんだろう。
まあ、一巻目の「あらしのよるに」と二巻目の「あるはれたひに」以外まだ読んでないんだけど・・・、いや読んだというよりは、司書課程の授業での読みきかせで聞いたんだけど。
これ六巻目まであるらしい。
あとのは全然読んでないなあ・
今度図書館で読んでみよかな。
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僕のひざの上で彼女が泣いている。
頭をなでてやることしかできない僕。
彼女は強がって、思いっきり泣きたいのをこらえて泣いている。
泣いてはいけないと思っている。
そんな時、遠い記憶がよみがえってくる。

あれはまだ、僕にそんなに力がなかった頃。今のように好きな人を抱きしめてなでてあげることなんて、とてもできなくて強がってばかり、自分の想いなどとても口に出すこともできなかった頃。
そう、あれはある日朝、僕のせいで、僕の想いが原因で当時片思いだった女の子が隣で泣いていた。
けれど、その頃の僕には何もできなくて、ただ泣いているのを隣で見ていることしかできなくて、きつい沈黙だけが漂っていた。
そして泣いたまま学校へつきそのまま・・・・。
その日から僕は彼女をあきらめようと思った。
何度もあきらめようとし、恋人だって作ったし、なぜかまともな対話をしない一年間という距離だって取った、いやなぜかそうなってしまっていた。
けれど・・・、また彼女と話すようになって、恋人と話しているときよりはしゃいでいる自分がそこにいることを僕は否定できなかった。
「好き」だというよりは「大切」な存在へと変わっていた。
・・・けれどもう、卒業と同時に彼女と顔を合わせることはなくなった。
もちろん距離的に離れたということもあるし、それに・・・。
いや、軽く話せるようなことじゃないが、僕がまた原因でもあった。

・・・そんな記憶が一瞬でよみがえってきた。
彼女はまだ僕の前で、泣き顔を隠して必死で笑おうとしている。
そんな彼女の前で、僕はまだ過去の苦い記憶を背負っている。
過去は過去、そう割り切っていても過去とは離れがたいものだ。
常に自分の記憶のどこかを支配している。
それが大事なものであればあるほど。
捨てるより、共存していくこと。
辛いけど、それが生きていくということなのだろう。
彼女が泣き終わったとき、僕のひざを上には彼女の涙の痕跡だけが残っていた。
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本音を人に言うって結構難しい。
本当に心を許せるような人じゃないと、なかなか自分の本音っていうのは口に出すことはできない。
それに自分の心の中に土足で踏み込まれてくると、やっぱりすごく抵抗しちゃうんじゃないかと、僕は思う。
もちろん、世の中にはすごくオープンな人もいるだろう。
なんでもかんでも人に話せるような。
でも、僕の場合はそうじゃない。
信頼してる人じゃないと、本音なんて話さないし、もちろん素の自分だって出さないで仮面を被ったまま。
それはきっと他人を警戒しているんだと自分でも思う。
この警戒心というのがなかなか抜けなくて、だから本当の僕の姿を知っている人も少ないし、高校のときなんて「イメージ変わった」とか言われたこともある・・・汗
でも、それはそれでいいんじゃないのかとも思う。
少なくとも、自分のこと分かってくれる友達がいれば、それは幸せなことなんだと思う。
それが例えリアルな友達であろうが、メル友であろうが(あんまりそういう区別はしたくないけど)、心を許して本音を語り合える友達。
そんな人が一人でもいれば、それは幸せなことなんじゃないかって。
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「ただいま」
「おかえり」
何気ない言葉だけれど、これには幸せがつまっていると思う。

好きな人に家で待っててもらい、「ただいま」と言って「おかえり」と返してもらうこと。
また好きな人が家に来たときに「おかえり」と言ってあげること。

実家にいたときはそんなこと思いもしなかった。
「ただいま」なんて言ってても適当というか、言わないときもあったし。
帰ってから家に誰もいないなんて結構普通のことだった。

それは一人暮らしでも同じで、いやむしろ一人暮らしし始めてからはもっと「ただいま」なんて言葉は使わなかった。
だから、結構「ただいま」と言えるのが新鮮で、「おかえり」と返してもらうことが、幸せなことなんだって今まで気付きもしなかった。

だからまた今度彼女が来たときに言ってあげよう。
「おかえり」と。

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本当に時々なんだけど、自分を自分の外から見ているような感覚に襲われる。
自分から離れて後ろから自分を見ているようなそんな感じ。
そのとき、自分が何者なのかということがたまにわからなくなる。
それは他人に対しても一緒で、すごく親しくしている人でも、この人こんな顔だったっけ?とか、なんでこんな顔してるんだろうとか、なんで自分と一緒にいるんだろうということを妙に冷静な感覚で考えている自分がいたりする。この感覚は、自分を自分の外から見ているような感覚と、恐らく似たようなものだろう。
別に離人症というわけじゃない。
けれど、たまに発生するこの感覚。
考えすぎなのかもしれないが。
こんなことを爆笑問題の太田光氏のエッセイを読んでいて思った。
彼もまた、エッセイの中で、こんなことを考えているということを知ったから。

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女優のカルーセル麻紀さんが、家裁で戸籍訂正を認められ、晴れて肉体、戸籍ともに女性になった。
去年成立し、今年から施行された性同一性障害特例法によってである。
また、他にも虎井まさ衛氏も男性への戸籍訂正を認められたという。
とうとうこんな時代がやってきた。いや、むしろ日本の場合は遅かったともいうべきか。
しかし、この法令、条件が厳しい所がある。

20歳以上であること。
これはまあいいだろう。
だが
完全に性転換できていること
結婚していないこと
子どもがいないこと
生殖能力がないこと

さて、これらはどうなのだろうか?
性同一性障害(GID)と一言で言っても、その中でも様々なセクシャリティをもった人がいる。
完全に性転換(性別適合)手術を望み、心と体を一致させたい人。こういう人たちのことをトランスセクシャル(TS)と呼び、それとは反対に、男性の当事者であれば胸だけをを取りたいとか、女性の当事者であれば、胸だけ付けたいとか、睾丸を取りたいとか、全部やらなくても、社会に自分の望む性で扱ってもらいたい人たちもいる。そういう人たちのことをトランスジェンダー(TG)と呼ぶ。
ではTGとTSの境目はどこにあるのか、それもまた曖昧だ。
だが、何かの本には、無人島に一人いたとして、苦しむのはTS、苦しまないのはTGと書いてあったような記憶がある(苦しむというのは言うまでもなく自分の身体にという意味だけど)
だから誰かが、性同一性障害という病気はジェンダーというものがなければ存在しないとか言っていたが、これにあてはめてみると、それは成り立たないわけである。
性はグラデーション、一人一人それぞれが、違った性をもっている。
そうしてみると、上に書いた性同一性障害特例法もまた厳しすぎる面があるのである。
だから、施行されたといっても、まだまだ改善の余地はたくさん残っている。
条件の中に、子どもがいないことというのも含まれているのだが、これだって普通に結婚して、子どもがいる当事者だっているわけで、結婚はしてみたけれど、やはり自分のセクシャリティは否定できなかったそういう人だっているのだから。
だから、一人一人の違いでちゃんと対応できるようにこの法が柔軟性をもつべきなのだろう。
もちろん、戸籍を変えなくたって困らないという人だっているだろうが、しかし社会的に使っている書類など、たとえばパスポートとか健康保険証とかには元の性が書かれてしまうのだから不便極まりないことなのだろう。
そこらへんの苦労は、当事者でない僕達にはわからない。

時代は少しづつ動いている。
それに伴い、きっとこの法だって変わってくれるだろう。同性婚だって認められるかもしれない。
今は未だ、夢物語でしかないとしても。
だが、夢を現実へと動かしていかないといけないのは僕達なのだろう。
だから、しっかりと時代の流れ、いや、世の中にどんな人たちがいるのか、僕達はそれをしっかりと見ていかねばならない
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洋楽は、中学、高校と今ほどでは聴いてなかったけれど、それでも英語の授業の影響とかでたまに聞いていたりはした。
その中で好きだったものをあげてみようと思う。

まずはChicagoの「Hard to say I'm sorry(邦題:素直になれなくて)」
これは確か中学の英語の授業で聴かされていたのだけれど、なんだろう、メロディというか声というか、そういうので、歌詞の意味とかはわかんなかったけど、さびしい気持ちになれたりして、かなり好きだった。
当時の片思いとも結び付けていたような気もする・・・。

次にDuran Duranの「Ordinary world」
この曲は今でもたまに聴いたりする。
CMとかでも流れてたし、何かのきっかけでこの曲と知り合って結構ずっと聴いてたことはあったような気がする。
古いけど、やっぱりこの曲は好きだな。

Eric Craptonの「Change the world」
これはたまにカラオケで歌ってみたり。
確か映画のテーマ曲で使われてたのかな。
高校のときに輸入版を買って、なんかあほみたいにずっと聴いてたことがあった。
「Blue eyes Blue」とかも結構よかった気が。

そして最後にSteevie Wonder
彼の曲ははずせない。
CMで「Feel the fire」が使われてて、最初はそれ目的で買って聴いてたのだけれど、授業で「I just called to say I love you」を聴いたり、ラジオで「Latery」を聴いたりして、更に彼の曲にほれていった。
なぜか去年の英語の授業で彼の子どもの頃のエピソードが教科書に載ってたりしたけど・・・。

こう見てみると結構王道?(笑

そういえば98°(Ninety eight Degrees)
彼らの音楽に出会ったのも中学生のときだった。
最初はディズニー映画の「ムーラン」のエンディング曲で彼らの曲が使われてて、そしてジャスコで彼らのCDを(σ ・∀・)σゲッツ
もう曲が素敵で朝とか毎日聞いたりしていた。
「I do」とか「Invisible man」とか色々お気に入りの曲多数。

Category :  さびしい気持ち
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男なら誰でも思ったことがあるだろう。
好きな人を守りたいということ。
好きな女の子のヒーローになりたいと思うこと。
何から守るのか、なんてわからないけれど、どんなに好きな女の子が強かったって守りたくなる。
それが本能なのか、それともテレビなどから植え付けられたジェンダー観なのかはわからない。
それでも守ってあげたくなる。
そうして自分のそういう姿を見せたくなる。
結局の所、自分のいい所見せてひきつけておくための手段でしかないのかもしれないけど、だから逆に自分のかっこわるい惨めな所を見られるのを極端に嫌うのかもしれないし、涙を見せたくないというのはそこからきてるのかもしれない。
男だって泣いていいんだ。全然かっこ悪くなんてないんだ、そう思っててもやっぱり好きな女の子の前ではその子にとってのヒーローで、ナイトでいたいもの。
僕はといえばそういうの関係なく自分自身の前でさえ泣けなかったりだがそれはおいといて。
こういうのは子どもの頃だけでなく大人になっても受け継がれ、そして子どもへ受け継がれる。
こう考えると、男の子のヒーロー願望というのは、テレビだけでなく、やっぱり親をみて育つっていうのもあるかもしれないね。
少なからず親の影響というのは大きいものだから。

僕は好きな人のナイトになれない男を一番かっこわるいと思う。
それは時に自分自身であることも多いけど。
もちろん、ナイトにならなくたってヒーローになれなくたって、それは自分しだいだし、いたって全然悪くはない。
ただ植え付けられた価値観が、かっこわるいと感じさせてしまう。
男の涙のすべてがかっこわるいとは思わないが、メソメソしているタイプが一番かっこわるいと思うし、でも逆に涙を引きずらないというか、涙を、悔しさをバネに頑張る姿、そういうのはかっこいいと思う。

結局、かっこよさ、ヒーローになれるかってのは価値観で違うのだろう。でもいつも強がってるだけでなく、あえてたまに弱さを見せれること、それも大切なんだろうな。
Category :  まじめな話
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司書になりたいと思ったのは、中学生のとき。
当時、中学に若い司書教諭の人がいて(学校司書かも)、それで図書室にいったときは、図書委員ではなかったけれど、友達が図書委員だったみたいのもあって、よく話したりしていた。
たまに僕が本をもっていって寄贈したりもしていたけれど。
その先生は通常の司書業務だけでなく、例えばよく生徒の相談に乗ってくれたり、いいと思った本を薦めたり、僕が薦めることもあったけど、人間としてすごくいい人だったことを覚えている。
僕もこんな人になりたい。
こんな司書になれたらいいなとか、そういうことを夢みたっていうのもあって、中3ぐらいのときには、それまで夢なんて全然思いつかなかったのが、司書になりたいと思っていた。
あんな人になりたい。
司書としても人間としても。
そんな想いが夢を支えていた。
先生は中3の僕らが丁度卒業するときに、結婚して北海道へ行った。
その後の消息は知らないけれど、今もどこかで司書としてやっているのかなって思う。

図書館という現実、司書の現実がわかってきた最近だけど、今でもその先生は僕の憧れの人だ。
確かに対人関係は苦手だけど、たとえば図書館の利用者に司書としてだけでなく、人間として何がしかのサービスができるなら、それはそれで光栄かなと思う。
そしてこの夢の延長線で、大学で今司書課程を受講している。
確かに現実は厳しいけれど、資格を無事に取得して、先生のような司書に、人間になってみたい。
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Category :  趣味
tag : 
好きな画家っていうのはやはり現代作家かな。
昔の芸術みたいのもいいけど、現代美術とでもいうか。

まず好きな画家一人目。
なんといってもエッシャー。
彼の作品とは小学校のときの修学旅行でハウステンボスに行ったときに、アミューズメント施設の一つにエッシャーのがあって、そこで彼の作品と色々出会った。
ハウステンボス美術館に行ったかどうかは覚えてないけど、そこで彼の絵に惚れてしまった。
そう、エッシャーといえば数学的なだまし絵だ。
著作権の関係でここには貼らないけれど、滝(Waterfall)という作品が好き。
永遠に巡る巡る用水路。
永遠の循環と矛盾が不可能を可能にしている。
それと、彼の初期の作品で、遠近法で近い方を白く、遠い方を黒く描くのはうまいなあと思う。

次に天野喜孝氏。
彼の作品は割りとFFとかで有名だと思う。
僕は田中芳樹さんのアルスラーン戦記で出会ったわけだが、彼の他の人とは一線を画しているような、言葉で言い表すのは難しいけど、とにかく彼の作品は大好きで、実家に置いてるけれど、実は画集も持っている。
そういえばラフカディオ・ハーンの「雪女」の文庫でも絵を描いてたっけ。
あれも綺麗だったな。

そして最後に丹野忍さん。
彼の作品で一番好きなのは風の行方という作品。
風の妖精が槍をもって風に吹かれてるみたいなのなんだけど、この作品で彼の作品と出会った。
それから梶尾真治さんの本とか、田中芳樹さんの小説でもたまに彼の作品がカバーにしてあったりして、素敵だなと思ったりしている。

他にも好きなイラストレーターは多い。
カーク・レイナートとか、きたのじゅんことか。
Category :  恋愛
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中学のとき好きだった人は今でも強烈に思い出に残っている。
中二の頃かな。
本を読み始めたことで図書室に通うようになったこと、同じ部活に入ったということで、お互い本も読むし、明るい人だったから、なんだかあの頃はいつも一緒にいたような気がする。
その頃までは、僕は性格も暗くて、今みたいな感じでもなかったけど、その人と出会ってからかな、こんな性格は変えてしまおうと思った。
ひとえに意識してたこともあって、もっと好かれたいというような想いがあったんだと思う。
まあ、あの部活は普段おとなしいような人が、本性丸出しなとこだったけど(え?今も変わらない?・・・笑)でも楽しい部活だったと思う。
その部活の仲間とその仲間の友達が何かのきっかけで集まったりして、そうやって一つのコミュニティとでもいうのかな、そういうものが図書館とかで成立していた。
そんな中で一緒にいたわけだけど、次第にやっぱりそういうのって目につくもので、だんだん噂が経ってきていた。
いわく付き合ってるとか三角関係とか諸々。
中学生ってそういうの好きだもんね(笑
今なら笑い話みたいに話せるけど、当時はからかわれるのが恥ずかしくて仕方なかったし、中には無理矢理告白させようとする人間までいた。
まあ、確かに両想いだったことは変わらないけど。

結局のところ、その恋は叶うことはなかった。
僕が告白できなかったから、というのもあり、中3になると片思いになってしまった。
これはこれで何度後悔したかわからない。
ずっと引きずったまま、中3のときに手紙で告白した。
このときに口で言える勇気があったらねえ・・。

でも結局のとこ、同じ高校に進んで高1まで引きずっていたと思う。
僕が好きでいることで、結構迷惑かけてたことがわかって、苦しかったし、嫉妬する自分が嫌いになったのもこの恋がきっかけかもしれない。束縛したくないというのも。
僕の中では恋愛感情はなくなっても、特別な人だった。
ムードメーカーみたいな人で、強くてぶりっこなんて絶対にしない人。
いわゆる男まさりとでもいうかな・
僕はそういうとこが好きだったし、結局他の人にもそういうの求めているのかもしれない。
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